Back

ノート 1965年~1969年 アポロとフォークソング


バート・バカラック 世界は愛を求めている
Burt Bacharach - What the world needs now is love 1965

 バート・バカラックの1965年の作品だが、自分が知ったのは数年後のテレビCMだった。少し記憶が曖昧だが、夕暮れの土手を子犬と歩く少年のCMで、ウールマークの宣伝だったと思う。
 バート・バカラックは1928年生れの92歳(2021年現在)。若い頃、マレーネ・ディートリヒのバックバンドの指揮をしていたと言うから恐れ入る。未だに現役なようで、バカラックがオバマ大統領の前で歌っているホワイトハウスのコンサート動画がYOUTUBEに上がっている。「雨にぬれても」等の映画音楽や、カーペンターズへの楽曲提供でも知られている。彼がポピュラー音楽へ与えた影響は計り知れない。


サンダーバードのテーマ
THUNDERBIRDS 1965 - 1966

 この物語が純粋無垢な子供たちへ与えた影響もとんでもなく大きなものだろう。当ページの記事は洋楽ポップス篇なので取り上げていないが、1960年代はTVアニメ黎明期にあたってキラ星の如く楽しい作品にあふれていた。1963年放送開始の鉄腕アトムに始まって、エイトマン、ビッグX、宇宙少年ソラン、スーパージェッター、宇宙エース、流星仮面等、枚挙に暇がない。それにアニメは日本だけのものではなかった。この頃は、アメリカのアニメも数多く放送されており、ミッキーマウス、ポパイ、トムとジェリー、バックス・バニー、トゥイティー、ウッディー・ウッドペッカー、フィリックス、スーパースリー、マイティ・ハーキュリー、宇宙忍者ゴームズ(ファンタスティック・フォー)……と、こちらもきりがない。

 これら番組が人々に音楽面で与えた影響も大きい。おそらく今、現在、偉そうにしている政治家や企業のトップたちも高い確率で、これらの主題歌を歌えるのではないだろうか。
 そこでサンダーバードだが、これはイギリスの伝説的プロデューサー ジェリー・アンダーソンの作品。アニメではなく人形劇だった。人形劇と言ってもNHKでやっていたチロリン村やひょっこりひょうたん島等の見た目が子供っぽいものではなく、スーパーマリオネーションと呼ばれて実写の感覚で見ていたように思う。だからこの作品のライバルは、ウルトラマンシリーズ等の円谷系の作品だと子供なりに考えていた。当時、プラモデルが人気で、サンダーバード2号、3号、4号とジェットモグラが人気だったと思う。ウルトラホーク1号も捨てがたかったが……
 ジェリーが人形を使った作品は、前作の「海底大戦争 スティングレイ」から、本作、「キャプテン・スカーレット」、「ジョー90」と見てきて、どのシリーズも楽しんだ。が、物語のスケールや登場するマシンのギミック度合いが、サンダーバードが一番良かったように思う。近年、CGを使って『サンダーバード ARE GO』としてリメイクされている。
 ジェリー作品では、1970年の『謎の円盤UFO』で、再びはまり込むことになる。


スパイ大作戦
MISSION:IMPOSSIBLE -Opening Theme 1966 - 1973

 「お早うフェルプス君、今回の君の使命は……。例によって君もしくは君のメンバーが捕らえられ、あるいは殺されても当局は一切関知しないからそのつもりで。なお、このテープは自動的に消滅する。成功を祈る」の冒頭のシーンはお馴染みだ。シーズン4から登場したレオナード・ニモイは、バルカン人スポックから変装の名人になっていた。現在では、トム・クルーズ主演の同名映画が定番になったが、オリジナル版のリーダー、ジム・フェルプスを悪役にしたため批判を浴びた。トムが演じるイーサン・ハントを立てて、過去のイメージを断ち切るためだと思うが、昔のドラマを知っている自分も違和感を感じた。
 60年代は、007シリーズの大ヒットのお陰で、テレビでもスパイものの作品が流行した。このほかにもロバート・ヴォーン主演の『0011ナポレオン・ソロ』やエイプリルと言う名の女性スパイが活躍する『0022アンクルの女』があった。声優は、翌年『キーハンター』に出演する野際陽子が担当し、コミカル&お色気の演出で、小学生ながら喜んで見ていた。メル・ブルックス脚本の『それ行けスマート』というパロディものも人気があった。


ボブ・ディラン
風に吹かれて Blowing In The Wind (Live On TV, March 1963)

 当時まだ幼稚園児だった自分が、海外のフォークソングを直接聞く事はほとんどなかった。フォークソングと言えばもう少し後になる日本のシンガー、はしだのりひこ、吉田拓郎、かぐや姫と言った人たちのイメージだ。ボブ・ディランにしても、ガロが歌っていた『学生街の喫茶店』の歌詞の一部の印象が強かった。但しこの曲は中学生の時、英語の授業で教材としてプリントを渡された。

 How many roads must a man walk down before you call him a man? 
 How many seas must a white dove sail before she sleeps in the sand?
 How many times must the cannon balls fly before they're forever banned?
 The answer, my friend, is blowin' in the wind,The answer is blowin' in the wind.

 カセットテープで歌を聴かせながら、これを訳せと若い女教師から課題を与えられた。だから歌詞は鮮明に覚えている。3行目の”the cannon balls”の行がうまく訳せなかった。
 そのボブ・ディランが、2016年にノーベル文学賞を受賞したのには驚いた。ボブ・ディランのファンの方には申し訳ないが、何でポール・マッカートニーじゃないんだ? 文学賞だからか? 画期的な受賞だと思う反面、今一つ、まだ合点がいっていない。


ピーター・ポール&マリー
Puff The Magic Dragon -- Peter, Paul & Mary - Live 1965

 この曲は、ラジオを聴くようになってから、自然と耳にするようになった曲で、ヨーロッパの童謡を聴いているようで好きだった。ピーター・ポール&マリーが歌ったことで、デュランの『風に吹かれて』もヒットした。動画を見ていると、歌い方、観客の乗せ方など、日本の初期のフォーク歌手のお手本になっていたのがよくわかる。曲調は今聞いても愛らしい。

 1945年第二次大戦終了後、アメリカは1950年に朝鮮戦争、1955年からはベトナム戦争を戦っていた。長い戦いにアメリカ自身はもちろんの事、世界各国で反戦運動が高まっていった。ボブ・ディランやPPMといったフォークシンガーたちの曲は、しばしばプロテストソングと呼ばれ、反戦の旗印にされていった。


ビートルズ
ブラックバード The Beatles - Blackbird 1968


 60年代後半は、まだ自分は小学生だったので、ビートルズの名前は知っていたが音楽の内容は正直よく知らなかった。最初の記憶にあるのは、東芝のステレオのテレビCMで『Let it be』が流されていたのを憶えている。奇しくもビートルズ最後の曲を最初に知ったわけだ。自分の小遣いで一番最初に買ったレコードが、解散後に発売されたジョージ・ハリスンの『美しき人生』だった。
 ビートルズの音楽はその後何回かリバイバルヒットして、自分がちゃんと聴き始めたのはそれから数年後の高校生になった頃だった。

アビイ・ロード (c)1969 Apple Records/EMI Abbey Road

 音楽性について自分がどうこう言っても始まらないので、好きだったアルバムは『ホワイトアルバム』と『アビイ・ロード』とだけ書いておこう。その中で今でも好きな曲は『Black Bird』と『Here comes the sun』だ。と言い切ると、こぼれる出る曲が山ほどあるところがビートルズの凄いところだろう。


サイモン&ガーファンクル
ミセスロビンソン Simon & Garfunkel - Mrs. Robinson

 1967年(日本は翌年)にダスティン・ホフマン、キャサリン・ロス主演の『卒業』という映画が公開された。この時、サイモン&ガーファンクルにはまった。FM放送で流れたアルバム曲をカセットテープに録音して、毎晩聴いていた。サウンド・オブ・サイレンス、スカボロー・フェア、明日に架ける橋、ボクサー、コンドルは飛んで行く、アメリカ 等々。当時、映画も大ヒットしたが、内容を考えると今の日本ならゲスの極みの映画になるのだろうか。とは言え、アン・バンクロフトの足が印象的なポスターは出色の出来だった。

卒業 (c)1967 Embassy Pictures 卒業


ポール・モーリアオーケストラ ヘイ・ジュード
Hey Jude (Remastered) · Paul Mauriat 1968

 ポール・モーリアはフランス出身の作曲家、編曲者。楽団を率いて『恋はみずいろ』、『エーゲ海の真珠』、『オリーブの首飾り』等数々のヒット曲を生み出した。この曲は『おふくろの味』と言うテレビドラマの主題歌にもなっていた。
 この頃、イージーリスニングと呼ばれた独自のアレンジがされたオーケストラ演奏が流行していた。このポール・モーリアを始め、レイモン・ルフェーブル、ヘンリー・マンシーニ、フランシス・レイ、カラベリときらめくストリングスと言ったアーティストや楽団が沢山活躍していた。


アポロ11号 月面着陸
Landing on the Moon :July 20, 1969

 1969年7月20日 アポロ11号が月面に着陸した。最初に月面に降り立ったアームストロング船長は、『これは一人の人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては偉大な飛躍である。』という言葉を残した。
That's one small step for (a) man, one giant leap for mankind.
 音楽とまるで関係なくて申しわけないが、国中が大騒ぎになる出来事だったのでぜひ触れておきたい。日本中の人々が固唾を飲んでテレビに見入っていた。NHKの放送は12時間に及んだので、大人だけでなく、子供までもが深夜に起きて放送を見ていた。それほど人々が興奮し感動した出来事だったのだ。
 日本のはやぶさ探査機の活動も素晴らしかったが、国民全体の盛り上がり様は、比較にならないほど大きかったと思う。
 翌年の大阪万博のアメリカ館でアポロの着陸船と『月の石』が展示されたが、大行列ができた。自分も小学5年生だったが、1970年3月15日の一般開催日に並んで見た。着陸船の脚部に巻いてあったアルミホイルが何故か気になって仕方なかった。
 60年代を彩る最後で最大のイベントだった。



inserted by FC2 system