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ノート1985年~1989年 ユーロビートはバブルの薫り


 1985年、貿易赤字で悩んでいたアメリカは、日本の対米輸出を抑えるために『プラザ合意』を行い、日本は為替レートの円高ドル安路線を合意した。日本にとって、アメリカの商品が安く買えるので輸入は良いが、日本からの売値は上がるので、輸出がやりにくくなるわけだ。
 そのため日本の輸出産業は痛手をこうむり不景気に陥っていった。日銀は公定歩合を引き下げ、お金を借り易くして景気を回復しようとした。こうして金余りの状況が生まれてバブルの素地となったと言われている。

 1987年2月、その2年前に民営化したNTT株が株式公開された。売出価格は119万7,000円。その後「買い」は止まらず、公開から2カ月で318万円まで高騰した。そしてその年の10月に米国株が急落し、その後、NTT株も急落して損失を被った人も多かった。まさにバブルの時代を暗示するような出来事だった。

 だがそれは後で気づいたお話で、バブル隆盛の頃は、国民の多くが浮かれていた。実際、決して悪いものではなかった。経済的余裕が日々の暮らしを楽しいものにしてくれたし、豊かで明るい未来を簡単に想像できた。
 その反面、有り余る資金が市中に溢れたことで、『財テク』の方が、楽に利益を確保出来きる事に気づいた人々は、マネーゲームに興じていった。最たるものが不動産売買だった。国内だけでなく、海外の不動産まで買いあさっていった。アメリカ・マンハッタンのビル群を日本企業が買収していたのもこの頃だった。映画『ダイ・ハード』の冒頭で日系企業の社長が、テロリストにあっさり殺されてしまうが、当時のアメリカ人の心情を表していたのかもしれない。本業で努力すること忘れてしまった人々が増えたことで、その後、手痛いしっぺ返しを食らうことになる。
 とは言え、幸せな時代がしばらく続いていく。



 ユーロビートは電子楽器を多用したダンスミュージックのひとつで、4/4拍子のリズムをドラムとベースが強く刻むのが印象的だ。当時はマハラジャ等のディスコ店が人気を誇り、第二次ディスコブームとなった。



バナナラマ
Bananarama - Love In The First Degree

自分は踊りに行くことはなかったが、レコード店の店頭に貼られていたバナナラマのポスターに魅かれ、曲も知らずにCDを買ってしまった。
 この曲のほかにも『ヴィーナス』『アイ・ハード・ア・ルーマー』等がヒットした。シヴォーンが脱退したが、カレン・ウッドワード、サラ・ダリンの二人で現在も活動中である。


カイリー・ミノーグ
Kylie Minogue - I Should Be So Lucky - Official Video

カイリーミノーグは、オーストラリア出身のシンガーソングライター。『ロコモーション』のヒットを皮切りに、『ラッキー・ラブ』『愛が止まらない』など大ヒットし、バブル期を代表する歌手の一人となった。1968年生まれで、イギリスを拠点に現在も活躍中である。



リック・アストリー
Rick Astley - Together Forever

リック・アストリーは、1966年生まれのイギリス出身のシンガーソングライター。『Never Gonna Give You Up』、『Together Forever』等がヒットした。彼のミュージックビデオはMTV等で頻繁に流されていた。ハックルベリー・フィンかトム・ソーヤかと見紛うばかりの純朴な表情とがっしりしたガタイに、トロンボーンのように響き渡る歌声が、何ともアンバランスに融合されていて、他に代えがたい魅力を持っていた。
 一時休業していたが2001年から再活動している。現在は渋めのおじさんになっている。



カヴァー・ガールズ
The Cover Girls - Show Me 1987

カヴァー・ガールズはアメリカのガールズグループ。この『Show Me』がデビュー曲になる。ただ正直言うとこのグループは記憶にほとんどなく、森川由加里がカバーした同曲を思い出すばかりである。テレビドラマ『男女7人秋物語』主題歌になったことでも有名だ。


カイリー・ミノーグ
Kylie Minogue - Turn It Into Love 1988

この曲もカイリー・ミノーグと言うよりは、日本の女性グループ『Wink』の大ヒット曲『愛が止まらない』としての記憶が大半を占める。精錬されていない踊りとゴシック風のファッション、最後まで笑顔を見せない彼女たちの歌い方は、実にインパクトがあり当時の若い人たちに大人気だった。


エンヤ
Enya - Orinoco Flow 1988

 エンヤはアイルランド出身のミュージシャン。ユーロビートやバブルの時代とは何の関係もなさそうだが、この頃から活躍し始めた歌手の一人である。彼女の曲を『歌』と考えるのは少し違和感があるが、声を一つの楽器とみなして、巧みに精錬された音楽に仕立て上げている。
 ケルトの民族音楽をベースにしていると以前は言われていた気がするが、ケルト人そのものが、古代ローマ人でないヨーロッパにいた人々(ガリア人)を指しているらしく、民族的な背景を特定するのは難しいらしい。イタリア以外のイギリス、アイルランド、フランス、ドイツ、オーストリア、スイス等などヨーロッパの主要国が含まれる地域の人々がケルト系になるとすれば、日本人と中国人と朝鮮人をまとめてアジア人というよりもずっと広範囲の人たちになるので、文化的な共通性をどこに見出せばいいのかよくわからなくなるのは当然か・・・。
 ケルティック・ウーマンと言うアイルランド出身のグループもあるが、アイルランド系の素朴で物悲しい静かな音楽ぐらいにとらえておいた方が良いのかもしれない。ならアイリッシュと言えば良さそうなものだが、北アイルランド問題など現在も続くイングランドとの重い戦いと抑圧の歴史があるので、アジア人には分からない言葉のニュアンスがあるのだろう。

 で、この曲のタイトル『オリノコ川』だが、南米のベネズエラを流れる全長2140㎞の大河。何でケルト人がオリノコ川なんだと疑問がわき、歌詞を確認することにした。
 『Sail Away Sail Away Sail Away(漕ぎ出そう、漕ぎ出そう、漕ぎ出そう)』これはいい。だが続く歌詞に出てくる地名が、ビサウ、トリポリ、ペルー、セブ、バビロン等全世界にまたがっていてオリノコ川とのつながりが良く分からない。単に韻を踏むために言葉を選んでるとしか思えないが、一説によると大航海時代、冒険家たちはオリノコ川の先に黄金郷があると信じていたそうだ。きっとケルトの末裔のエンヤは壮大なスケールでこの曲を創造したに違いない。そう思うことにした。
 悪口を書いてるように思われるかもしれないが、一応、私はエンヤのCDを8枚買っている素直なファンのつもりです。


クイーン
Queen - I Was Born To Love You - 2004 Video

クィーンは、イギリス・ロンドン出身のロックバンド。この曲は1985年に発表された。1991年、45歳でフレディ・マーキュリーが亡くなった後も活動は続いている。クイーンの軌跡を描いた映画『ボヘミアン・ラプソディ』が2018年に公開された。
 『ドント・ストップ・ミー・ナウ』、『ボーン・トゥ・ラヴ・ユー』など数多くのヒット曲がある。


ウィ・アー・ザ・ワールド
U.S.A. For Africa - We Are the World (Official Video) 1985

 こちらもユーロビートとは関連が薄いが、リリースされた年は一致するので外せない曲。ハリー・ベラフォンテが想起し、アフリカの貧困層を救う目的で作られたキャンペーンソング。作詞・作曲はマイケル・ジャクソンとライオネル・リッチーの共作。プロデュースはクインシー・ジョーンズが担当した。
 1985年の発表当時は、シンプル過ぎるタイトルと曲調、豪華すぎるメンバーに何か嫌味を感じていたが、35年以上たって、既に鬼籍に入ったミュージシャンもいる今では歴史的価値さえ感じている。
 言い出しっぺのハリー・ベラフォンテが、ソロが出来ない歌手への配慮か超大御所なのにバックで歌うだけというのも謙虚過ぎて泣けてくる。

▼ソロ(出演順)
ライオネル・リッチー
スティーヴィー・ワンダー
ポール・サイモン
ケニー・ロジャース
ジェームス・イングラム
ティナ・ターナー
ビリー・ジョエル
マイケル・ジャクソン
ダイアナ・ロス
ディオンヌ・ワーウィック
ウィリー・ネルソン
アル・ジャロウ
ブルース・スプリングスティーン
ケニー・ロギンス
スティーブ・ペリー
ダリル・ホール
(マイケル・ジャクソン)
ヒューイ・ルイス
シンディ・ローパー
キム・カーンズ
(合唱)
クインシー・ジョーンズ(指揮)
ボブ・ディラン
(合唱)
レイ・チャールズ

▼その他合唱シーン等
ウェイロン・ジェニングス
ジェフリー・オズボーン
ジャッキー・ジャクソン
シーラ・E
スモーキー・ロビンソン
ダン・エイクロイド
ティト・ジャクソン
ハリー・ベラフォンテ
ベット・ミドラー
ポインター・シスターズ
ボブ・ゲルドフ
マーロン・ジャクソン
ラトーヤ・ジャクソン
ランディ・ジャクソン
リンジー・バッキンガム


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